父は7人兄弟の5番目。高校に行けず、15歳から仕事一筋の人です。母はそんな父を支え、自分も朝から晩まで仕事をこなし、家事をしながら私を育ててくれました。

何をやっても上手くいかない学生時代

1975年11月養老町に生まれ、育つ。

 

1982年、養北小学校へ入学。勉強はそこそこ出来たが、運動はイマイチ。野球クラブに入るも一度もレギュラーになれず。後輩に抜かれる始末。上級生にはいつもからかわれ、イジメれらて野球に行った日は泣いていた記憶しかない。

1988年、高田中学校に入学。野球が上手くないのに、また野球部に入部。やっぱりレギュラーになれない。後輩の後ろで球拾いの日々。

 

1991年、大垣南高校へ進学。今度は何を考えたか、フェンシング部に入部。同年代で西濃地区で競技人口が3人。西濃大会第3位で表彰を受ける。勉強と部活の両立ができず、1年で退部。2年生は遊び呆けて、成績は全学年405人中403位。404位と405位は同じクラスの近藤潤侍くんと小林昌弘くん。1年、2年とも成績の悪さと出席日数が足りず危うく留年しそうになる。高校3年生の時に学年一の美人に愛の告白。見事玉砕で「私N君が好きなの」。Nは見た目もカッコよく、スポーツができて成績優秀。まさに負けっぱなし。この玉砕から奮起、高校3年生では一変し、勉学に励む。大学は諦めろと言われていた自分が大学生に。

1994年、名城大学理工学部へ進学。学生の本分を忘れアルバイト三昧。二年生を2回経験。5年かけて卒業したが、未だに卒業できない夢を見る。

将来は会社をやりたい

大学を卒業すると、地元の企業に就職。しばらく頑張るつもりでいたが、一年後、親の在籍する会社に入社。社長になりたいなら簿記を憶えろと言われ、簿記3級を受験。1週間の勉強で合格できた。調子に乗ってチャレンジしたのが中小企業診断士という資格。仕事が終わってから名古屋の学校に通い1年後1次試験合格。2次試験を受ける前に上京を決意。東京で就職しようとしたが、兄から連絡。会社をやるから手伝えと、すぐに養老へ戻り兄の会社を手伝う。兄の仕事がひと段落したところで、お金を稼ぐために就職。

 

半年後、兄が病気で入院。再び兄の会社を手伝うことに。兄が帰ってきてからこれからどうするかを真剣に考えた。将来会社をやりたい、社長をやりたいのなら、もう26歳。考えなければならない。ひょんなところから「会社をやらないか」という話が。どんな会社かというと「株式会社大顕設備」という。話を聞いてみると水道屋さんらしい。会社はやりたいと思ったが水道屋か・・・何をやる会社なんだろう?イメージが湧かない。そうこうしているうちに日は流れ、水道屋云々よりも働かないと・・・。もうこうなったら自分の将来を決めなければならない。東京へ行って不動産の仕事を始めよう。そのために東京の不動産屋へ就職しよう。思い立ったが吉日、東京にいる友人の部屋へ潜り込み就職活動。2社受けて2社から内定をもらう。その時養老から電話が。

 

「水道屋の話やけど、まだ終わっとらんぞ。どうする?」

 

考えた末、東京で不動産の会社をやる夢を諦め、養老へ帰ってきて水道屋をやる決心をする。

 

いきなり借金1000万円

会社を継ぐことを決めたが、何から始めていいか分からない。
株式会社大顕設備は昭和37年に先代「大橋強」が創業した会社。主に養老町や岐阜県などの公共事業を受注していた。2002年7月に大橋強が脳梗塞で倒れ、開店休業状態になった。息子が二人いたが、二人共引き継ぐ意志はないという。だが、会社を無くしたくないという思いから後継者を探していた。それがたまたま私だった。まず会社を引き継ぐために資本金を用意しなければいけないという。私は紹介してくれた社長の会社が出資して、私が雇われ社長になるものだと勝手にイメージしていた。ちなみに私に1000万円どころか100万円もお金はない。恐る恐る社長に聞いてみる

 

私:「資本金の1000万円て、どうするんですかね?」

社長:「銀行へ行って借りてこい!」

 

慌てた。銀行なんかATMしか行ったことないのに1000万円貸してなんて。
なんとかかんとか1000万円借りることができ、会社を引き継ぐことになった。

始めてみたものの・・・

会社を引き継いでみたものの、何をしていいのかさっぱり分からない。とりあえず大顕設備が以前付き合っていた会社に営業する。少しずつ仕事を頂き始める。営業社員を雇い、現場社員を雇い、売り上げ増加を狙う。営業を知らない私は営業社員に営業を任せきりにしてしまう。売上は増えるが、赤字が膨らみ始める。建築会社の下請けが仕事の大半を占め、朝の6時から夜の10時まで、日曜日も正月もなく働くがちっとも利益が出ない日々。社員もバラバラになってきた2006年12月忘年会事件発生。忘年会を企画したが、社員の参加がゼロ・・・。このまま行くと倒産してしまう。

地域になくてはならないお店・人をめざして

2008年から路線変更。大手建設会社の下請けを止め、地域に密着した営業に方針転換。新聞折込広告チラシを少しずつ撒き始め、徐々に地域の人から依頼が増え始める。細かい水道修理でも迅速に対応することを心がける。社内改革にも着手。早朝出勤・深夜残業仕事を止め、8時出勤17時退社、休日を明確にし、土曜日(隔週)、日曜・祝日を完全休業にする。改善提案制度を設け、報奨制度もスタート。社員とのコミュニケーション、地域のお客様の仕事を通じて会社の雰囲気も良くなり、業績も徐々に良くなってきた。
ようやく会社の体をなしてきた。

地元のお客様と地元採用の社員。

これからも基本コンセプトを変えずにもっといい会社にしていきたい。

 

なぜリフォーム工事を始めたのか

地元のお客さんから様々な仕事を頂く中で、

 

「トイレの改修は出来ないか?」、

「お風呂をユニットバスにしたいんだけど」、

「サンルームの設置って出来ないですか?」など、

 

たくさんのご要望をお聞きしました。当初は(何でウチに依頼があるんだろう・・・?)と思っていたのですが、直接お客さんに聞いてみました。

 

私「どうして当社に依頼されたのですか?」

お客さん「だって、だいけんさんしか知らないし、知らない業者に頼むのも怖いから。」

という回答を頂きました。

 

最初はトイレの取替えのみの簡単な工事から始まり、今では住宅をまるごとリフォームしてしまうようなかなり大規模なリフォームまで携わるようになりました。もちろん私自身、いろいろな工事をやる中で経験は豊富になってきましたが、何も知識がないままではお客様は不安になってしまいます。そこで二級建築士の資格を取得しました。

 

なぜ新築住宅を始めたのか

大規模の住宅リフォーム工事の仕事が多くなるにつれ、

 

「だいけんさんでは新築はやってないですよね」という言葉を頂くことが多くなりました。

 

新築工事は同じ建築業でもリフォームと新築ではやはりやり方が違います。

新築工事をやりたいという思いはリフォーム工事をやる中でいつも心の中にありましたが、リフォーム工事を懸命にこなしていましたので、中々決断が下せず、時間だけが過ぎて行きました。

ある時仕事で車を走らせていくと養老町内で家を新築している現場を目にしました。足場がかかっていて、そこには大きな垂れ幕がかかっていました。

 

「○○林業の家」。

 

大手ハウスメーカーでした。大手ハウスメーカーは各都道府県に支店や営業所がありますから、養老町で建てていてもおかしくはありません。しかし作業に来ていた車のナンバーを見て驚きました。名古屋ナンバーや尾張小牧ナンバーの車でした。岐阜県養老町の建物を県外の業者が建てているのです。

 

もうひとつおかしいのではないかということがありました。

知り合いの電気屋さんが「明日は豊田へ仕事に行く」というのです。

なぜ養老町の電気屋さんが愛知県へ仕事に行って、愛知県の業者が養老町で仕事をしているのか。よくよく考えると答えは分かりました。養老町内の建築屋さんが新築を受注していないからです。

 

では誰が受注しているのかというと町外の工務店やハウスメーカーなのです。私はこの状況をなんとかしなければいけないのではないかと思いました。地元の建物は地元で建てたい。地元の仕事は地元の業者で出来ないのか。このままでは本当にこの町は消滅してしまうのではないかと思いました。私は生まれも育ちも岐阜県養老町です。普通にこの町は好きですし、将来もこの町で暮らしたい。でも今の状況では消滅して人がいなくなっていくのは目に見えています。

 

ギフトホームとしてスタート

新築事業をやりたいという思いだけで新築事業が上手くいけばそれに越したことはありません。しかしいざ新築事業を始めるぞ、と意気込んでもやることは本当に山ほどありました。まずは商品づくりです。ギフトホームとしてどんな家をお客さんに提供するのか?どんな仕様にするのか?どんな価格で提供するのか?を一から考えていかなければなりません。また、お客さんに説明する商品パンフレットなども用意しなければなりません。新築を始めるにあたり、各工種ごとの協力業者さんに新築事業への協力を仰がなくてはいけません。それらをひとつひとつこなしながらギフトホームはスタートしました。

 

贈りたいのは、家族の笑顔

新築をするにあたって、もうひとつ気になることがありました。

それは、せっかく家を建てたのに幸せではない人たちの存在です。

新築を建てることは何よりも嬉しいことなのになぜそんなことになってしまうのか。

それは住宅ローンの存在でした。

家を新築する人のほとんどが一次取得者、つまり子育て世代です。彼らは建物のことはおろか、住宅ローンのこともほとんど何も知らないことがほとんどです。ハウスメーカーから見積りが提示され、銀行に行ったら4,000万円の住宅ローンの審査が通った。やれやれと思って住宅が建ち、数年住んでみる。すると住宅ローンの存在が家計を圧迫していることが分かった。パパはお小遣いを減らされ、ママはパートへ行く。外食の数も減り、旅行へ行くことも出来ない。家族の会話が減っていく・・・。さらに追い打ちをかけるのが子供の学費。高校、大学へ進学するたびにお金がかかっていく・・・。無事住宅ローンを払っていければまだいいのですが、無理な住宅ローンを組んでしまったがゆえに、せっかく建てた住宅を手放す人がなんと多いことか。

私はこんな住宅を建てる工務店にはなりたくない。ではどのようにしたらいいのか。

 

それは、私自身がお金のこと、住宅ローンに詳しくなってお客さんの資金計画をしっかりサポートしていくことだと思っています。お客さんが買うのは建物ではありません。その建物での生活、幸せな家族の未来の暮らしなのです。だから私たちは無理に高い家は売りません。どうしたら目の前のお客さんの将来の暮らしが楽しくなるのか。それを追求していきます。

私たちが提供したいのは「家族の笑顔」なのです。

 

ギフトホーム代表取締役 佐竹 壯夫